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月収200万円の若手起業家と出会って、人生逆転を目指すポンコツサラリーマン物語!!

こんにちは、シモシです。

 

この記事では、
超絶不器用で会社でミスばかり。

 

要領が悪くて仕事がのろく、上司や先輩に怒られてばかりのシモシが、
転職3回目でなんとかやっていける工場に勤めたものの、
面白みも楽しみもない会社と自宅の往復ばかりの生活に絶望・・・。

 

そんなある日、ネットビジネスで自由に生きる若手起業家と出会い、
ネットビジネスの可能性に魅了され、コンプレックスだらけの
人生を逆転しようと奮闘する僕の物語です。

 

ここでは、
不器用でのろまで、なんとなく惰性だけで生きてきた
ポンコツサラリーマンの僕が、なぜインターネットビジネスに
挑戦しているのか、お話ししたいと思います。

 

日々生活していて、

  • 不器用で会社では怒られてばかり。
    「自分は社会的価値が無いのではないか?」と悩んでいる人
  • 家と会社の往復だけで、退屈過ぎる人生。
    「つまらん人生だなぁ。こんな人生でいいのか?」と
     刺激も成長もない人生に絶望している人
  • 暇さえあれば、スマホゲーム、youtuberの動画やネットサーフィン、
    貴重な時間があっという間に終わり、
    「また会社かぁ。行きたくないなぁ・・・」と
    ため息をつく日々を過ごしている人

 

この様に、日々もやもやしているけどどうしたら良いのか
分からない人向けの記事になっています。

 

早速ですが、物語りの本題に入る前に、
僕シモシがどんな人間であるかザックリ箇条書きで紹介致します。

  • 某電子部品大手メーカーの製造業に勤める35歳サラリーマン。
    仕事をしながら自宅でインターネットを使って独立の準備をしています。
  • 仕事は製造オペレーターの交代勤務。
    シフトは3交代制で、朝~夕方、夕方~深夜、深夜~朝。
  • インターネットを通して出会った月収200万円の
    若手企業家に、インターネットビジネスを教えて貰いながら、
    副業として挑戦中!!

『十分恵まれている人生ではないか』と思われるかも知れませんが、結構
シンドイ人生送ってます。

  • 貧乏の為、小学校の頃から世間に疎く、流行のアニメや漫画、音楽、芸能人を
    を殆ど知らずに友達の話を聞くことしか出来なかった。
  • 小学校5年の頃、弟の左目周辺に悪性腫瘍(ガン)が出来て入院。
    父親は仕事、母親は弟の看病で病院に行っているので、
    帰宅してひとりぼっちの生活が始まった。
  • 愛知県の通信系の専門学校に通い、地元で有名な情報通信の会社に就職し、
    順風満帆な人生が待っていると思いきや、ワンマン経営の会社で
    無茶な仕事が舞い込み、うつ病になりかける。
  • 元友人がお金に困り、死にそうだったので100万円をローンを組んで貸すも、
    2年後に音信不通でとんずらされる。
  • 愛知県の自動車部品設計会社に転職するも、仕事内容が合わな過ぎて2年で
    退職。
  • 地元の建築・電気工事関連の会社に転職したが超絶ブラックで
    1年で転職
  • 現在の電子部品大手メーカーの製造業に勤めるも、段取りの悪さや不器用さで
    注意されまくりの日々
  • 父親が詐欺に遭い500万円を失う。
  • 元々コミュ障ネクラで中二病

 

この様に、なかなかキツい人生を歩んできました。

 

僕は当初、自分が不器用という認識がなく、
「仕事が遅いのは会社の仕事が合わないからだ!!」
と思っていたため、転職しました。

 

転職を繰り返してようやく今の会社に行き着きましたが、
その過程で「あれ?僕って出来ないヤツ?」という
事が分かって来ました😅

 

上司や先輩からはしょっちゅう
「なんでこんなことも出来ないんだ!!」
「またかよぉ。何回言わせるんだよ!!」

 

と言われ続ける日々に、絶望してしまいました。

 

何処に転職しても仕事が上手くできない。

 

そして、仕事が上手く出来る先輩や上司達を見ていても、
雪崩のように舞い込んでくる仕事とストレスで
常にシンドそうで辛そう。

 

そういうのがきっかけで、僕は会社員という生き方を
辞めたい!!そう思うようになったのです。

 

「そうは言っても電子部品大手メーカーでしょ?
そんな良い所に勤めているのに辞めてまで
ビジネスの道歩む必要あるの?」

 

この様に思われるかも知れないですね。

 

ではなぜ、そこまで独立してビジネスをやっていくことに
拘りたいのか?

 

その理由は、僕の過去の物語を振り返る必要があります。

 

貧乏家族で周囲の会話に付いていけない学生時代

結論から言うと、僕が過去、
有名な会社や大きな会社ばかりを選んで就職した理由も、
独立してビジネスをやっていこうとしている理由も、
貧乏家系で育ってきた
からです。

 

(もう一つ理由があるのですが、それはもう少し先に進んでから
お話しします。)

 

超絶貧乏とまではいきませんが、
お金がない事で我が家にはいろいろありませんでした。

 

家はボロボロのアパート。

 

風呂の壁はすぐにカビで黒くなります。

 

アパートのコンクリートが溶けてコンクリートの
氷柱が出来ていました。

 

トイレは今では絶滅危惧種のボットン便所。

 

僕が小学校の頃に流行っていた
ファミコン、スーパーファミコン、
流行の漫画、東京のアニメが見れるケーブルテレビ・・・
我が家はお金が内のでこういったモノがありませんでした。

 

そのため友達との会話に付いていけませんでした。

 

友達A「ドンキーコングどこまで行った?」
友達B「ここまで行ったけど、難しいわぁ~」
僕「・・・・(どんなステージの話なんだろ?あ~分からん!!)」

 

毎回こんな感じでした。

 

話に加わりたい!!そう思い、両親の前で

シモシ
「スーパーファミコン欲しい!!!!」

 

そう言うと、

 

父親・母親「うちにはお金が無いから我慢しなさい!!」

 

僕「・・・」

 

というやり取りがよく行われていました。

 

次第に僕は、「うちは貧乏だから我慢しないとなぁ」と
思うようになり、色々と興味を持たなくなってしまいました。

 

そしてより一層、周囲の会話に付いていけない子になってしまったのです。

 

興味を失ってしまうと、野球もサッカーも、芸能人も、音楽アーティストも
全てに興味を失ってしまいます。

 

そのため僕は、当時の流行ドラマ、映画、音楽、スポーツなど
会話で話せるネタが壊滅的にありませんでした。

 

会話に加われないのは孤独です。

 

ただただ周りの友達達が羨ましかったです。

 

なんとか買って貰えたものは、ゲームボーイとミニ四駆、ハイパーヨーヨーなど
です。

 

これでなんとか話に加われるように頑張っていました(笑)

 

小学校5年生の時に弟がガンになる

小学校5年生の1月下旬頃。

 

弟の右目の周りが酷く腫れていました。
突然腫れたのではなく、少しずつ腫れていきました。
最初はどこかぶつけたのか、虫に喰われただけだと思っていました。

 

しかし、いつになっても腫れが引かないので、母親が弟を連れて、
眼科に見て貰うことになりました。

 

診察の結果は「地元の大学病院で至急診て貰うように」と言われたそうです。

 

そして後日、大学病院で診察して貰ったそうです。
その時僕は小学校にいました。

 

家に帰ると、何故か弟が居ませんでした。
僕「弟はどうしたの?」

 

そう聞くと、両親は真剣な顔で言いました。
父親「落ち着いて聴いて欲しい。弟は目の周りにガンがあるんだ。
これから長い間、入院して治していかなくちゃいけなんだ。」

 

僕はショックでした。

 

そして
「これからどうなってしまうんだ・・・」

 

と、凄く不安になりました。

 

その日を境に、我が家に弟の居ない日々が始まりました。

 

弟が元気だった時は、頻繁に喧嘩をしていました。
おもちゃの奪い合いに、お菓子の奪い合い。

 

そして良く一緒に遊んでいました。

 

僕がゲームボーイで遊んでいると、弟が横で見ている。
ミニ四駆が流行った時は、弟と一緒にミニ四駆で遊ぶ。
外に出ると、よく後ろからくっついてきました。

 

そんな当たり前過ぎるような光景が、この日からパッタリと
無くなってしまったのです。

 

朝起きても弟が居ない。

 

学校から帰ると弟も母親も居ない。

 

あまりに寂しすぎて、よく泣いていました。
「なんでこうなったんだろう・・・」
「もっと弟に優しくしていれば良かった・・・」

 

後悔ばかりが募ってきました。

 

土日になり、弟の居る病院に行きました。
弟はガンの摘出手術を無事に終え、抗がん剤治療を
しているところでした。

 

抗がん剤を使うと身体の中に残っているガンを
倒すことができます。

 

しかし、抗がん剤はそれだけ強力な薬。
身体に様々な副作用を与えます。

 

免疫力という、身体に本来備わっている
ウイルスや細菌をやっつける力まで大きく
失ってしまうのです。

 

そのため、弟はウイルスや細菌が居ない
『無菌室』という部屋で治療を受けていました。

 

「弟に会える!!!!」

 

そう思って、無菌室の扉を父親、母親と一緒に
空け、弟の居るベッドのカーテンを開けた時、
僕は絶句します。

 

弟の髪の毛は全て抜け落ち、鼻と胸には管が通されており、
管の先には点滴の台車・・・。

 

弟の顔は血の気が引いて、真っ白に、そしてげっそりしていました。

 

あまりの衝撃に、部屋を飛び出して泣いてしまいました。

 

食事の度に抗がん剤の影響で吐いてしまっている弟。
そして薬を飲む時も、激しい吐き気に襲われていました。

 

それは想像を絶する、ガンという病気との戦いの
過酷さを思い知らされる光景でした。

 

弟を見ていると、辛くて仕方がありませんでした。

 

「このままじゃ弟は死んでしまうのではないか・・・」

 

とても心配で不安で、悲しい気持ちになりました。

 

中学に入り弟が退院!!しかし、接し方が分からなくなる

中学校に上がって半年後、弟が約2年間に渡る長い闘病生活から
退院する事ができました!!

 

2年ぶりに弟が居る生活が戻ってきたのです!!

 

「やっとあの寂しい生活が終わる!!」

 

そう思っていたのですが、実際は弟が入院する前とは全くの
別生活でした。

 

弟は長い闘病生活で性格は暗くなってしまい、以前の活発さは
無くなってしまいました。

 

起きるのは昼近く。

 

常に身体がだるそうで、食欲も殆ど無い。

 

そして僕も、2年間弟が居ない生活をして逆にそれに慣れてしまった為、
弟にどの様に接していけば良いのか分からなくなってしまっていました。

 

僕はそれから、弟を避ける様になってしまったのです。

 

あれ程心配していた弟なのに、いざ家に戻ってくると、
どの様に接すれば良いのかで苦しみ、逃げるようになってしまいました。

 

「(何やってるんだ!!自分の弟だろ!!)」

 

心の中で自分に言い聞かせるのですが、うまく弟と話せない。

 

唯一弟と繋がれるものといったらゲームだけ。

 

今思うと、この時にしっかり兄として弟のフォローをするべきだったと、
とても後悔しています。

 

もっといろんな所に連れて行ってあげて、
いろんな友達と遊んで、
色んな話をして、そうやってもっと社会と
繋がれるようにリハビリさせてあげるべきでした。

 

しかし当時の僕は、それから逃げたのです。

 

弟の社会復帰で一番大事な時期に、やるべき事をやらなかった。
そのせいで、弟は今でも社会にうまく馴染めずにいます。

 

「僕のせいだ・・・」

 

「僕がフォローしていれば、また別の弟の人生があったハズなのに!!」

 

悔やんでも悔やみきれません。

 

インターネットビジネスで成功させたいもう一つの理由は、
『弟と関われなかった空白の期間を埋めたい』
という想いがあるからです!!

 

一緒に旅行に行ったり、昔やったゲームをやったり、
一緒に飲みに行ったりして、少しでも明るくなって貰いたい!!

 

そのためには時間に縛られている会社員では難しいなと
考えたからです。

 

専門学校に入学し、良い会社の就職を目指す!!

入った専門学校は名古屋の情報通信専門学校。

 

当時、ITバブルで世間が賑わっていたので就職にも有利では無いかと、
当時の僕なりに考えて情報通信専門学校に行きました。

 

親には借金までさせてしまっていたので、
「絶対良い会社に入って親孝行する!!」
「良い会社に入って、弟とディズニーやUSJに連れて行く!!」

 

そう決心をして入学しました!!

 

就活が本格的に始まった専門学校2年生の時は、
「良い起業に入ろう!!」と意気込んでいました。

 

専門学校2年生の、地元に帰省していた時のこと。

 

たまたま地元の求人情報に、
地元で有名な情報通信会社の求人が載っていました。

 

父親が「試しに応募してみたらどう?」と言ったので、
僕も軽い気持ちで応募しました。

 

「多分ダメだろうなぁ~」と思っていたのですが、
書類選考、筆記試験、面接と順調に進み、
なんと専門学校2年生の6月には内定が決まりました!!

 

「よっしゃ~~~~~~!!

これで人生勝ち組だぁぁぁぁっ!!!!!!!!」

 

この時は本当に嬉しかったです!!

 

「これで親孝行が出来る!!!!!」
「弟に辛い思いをさせてしまった!!これからは弟のフォローも出来る!!!!」
そう考えていました。

 

社会人になって思い知る労働地獄と己の無力さ・・・

専門学校を卒業し、いよいよ地元の情報通信会社で働く日がやってきました!!

 

同期は僕を含めて4名!!
皆同じ年位で、男性2人、女性2人でした。

 

会社は地元では有名な中小企業。社員数が65名程。
1ヶ月もすると、ほぼ全員の顔と名前を覚えることができました。

 

そして、入社1年目の時はとっても楽しかったです!!

 

新入社員研修が3ヶ月間あるのですが、様々な現場に同期と
行き、賑やかに過ごしました(笑)

 

温泉旅館、山、神社、野球場、サッカー場、そしてイベント会場など、
本当に様々な現場に連れて行ってもらい、とにかく刺激的でした!!

 

バーバパパの着ぐるみの中に入って子供達の相手をするなんてことも
やってました(笑)

着ぐるみの中って、めちゃくちゃ臭いし暑いんですよ(笑)

 

月に1度は同期や少し上の先輩達と飲み会をやって
ワイワイと楽しむ!!

 

「社会人ってこんなに楽しいものなのか~♪」と、
この時はこんな楽しい状況がこれからも
ずっと続くものだと思っていました。

 

が・・・しかし!!

 

当然こんなキラキラした最高の時間がいつまでも続く訳もなく・・・。

 

同期の皆が本格的に自分の部署の仕事を行うようになると、
一番忙しいと言われている部署の女性が2年目に入る前に
辞めてしまいました。

 

そして2年目の終わり頃に、もう一人の女性も辞めてしまいました。

 

更に入社3年目くらいになり、会社が不祥事を起こしてしまいます。
(どちらかというと関連会社がやらかして巻き込まれました💦)
これまでノリノリだった雰囲気が一変、かなり雲行きが怪しい雰囲気に
包まれてしまいました。

 

僕の担当している技術課という部署も、どんどん忙しくなっていきました。

  • やることが多すぎて昼休憩が取れない・・・
  • 残業で23時まで残るのは当たり前・・・
  • 慢性的な人手不足による休日出勤・・・
  • 仕事を持ち帰って自宅のパソコンで書類作る・・・

 

「なんで僕はこんなに仕事しなきゃいけないんだ!!」と
精神的にも肉体的にもしんどくなっていき、
「なんの為に生きているんだろう」とまで考える様に
なってしまいました。

 

あの時期は、うつ病寸前まで心が病んでいました。

 

先輩社員や上司に相談する事もあったのですが、返ってくる言葉は
「皆辛い時期を頑張ってきたからね。今は辛いけど、頑張っていれば
皆その頑張りを認めてくれるし、達成感を味わえるよ」
という言葉でした。

 

最初の頃は、この言葉で励まされて頑張っていましたが、しばらくすると
また気分もモチベーションもどん底になります。

 

不器用ながらも必死に頑張っていましたが、あまりに耐えなければならない事が
多すぎて、
「もう無理だ!!環境を変えないと人生変わらん!!」
と思うようになり、入社6年と9ヶ月目にして転職することにしました。

 

自動車部品設計の会社に転職

転職先は、愛知県の自動車部品の設計業務を行っている会社に勤めました。
この会社を選んだ理由は、以前から「ものづくり」に興味があったから!!

 

ところが・・・

 

この会社は2年勤めて辞めてしまいました。

 

辞めた理由は
「車作りをしている感覚が全く無い!!!!」

 

車を作っている!!と言うより、資料を作っている感じでした。

毎日毎日、車の仕様書と他部署から依頼があった仕様との確認作業。
海外の法律や要件を満たしているかの確認作業。
確認依頼や日程調整のメールの嵐。

 

エビデンスという『本当にこの内容で大丈夫なのかという裏付け資料(証拠)』を元に、
大丈夫である理由を書いて報告する・・・。

 

この繰り返しでした。

 

全く面白みを感じなかったですし、不器用で要領が悪かったので、
周囲の先輩達の足を引っ張ってばかりでした。

 

「長く続けても誰も得をしないな」と思い、
入社2年という早さで辞めてしまいました。

 

唯一大きな収穫を得られたのは、とても前向きで意識が高く、
考え方がとても柔軟で面白い先輩達に出会えた事でした!!
(シモシという名前をくれたのも、この会社の上司です!!)

 

目的意識が非常に高く、常に自分を磨くことを意識している!!
当時、目的意識も自分を磨こうという意識も全く無かった僕には
衝撃的な出会いでした!!

 

この先輩達に出会えた事は、僕の人生の分岐点にもなっていると確信しています。
恐らくこの先輩達に出会えていなかったら、自分でビジネスを学ぼうという
考え自体が起こらなかったからです!!

 

そう断言できます!!
先輩のOさん、Hさん、Bさん!!

 

今でも感謝しています!!
ありがとうございます!!

 

地元の建築・電気工事の超絶ブラック企業

設計業務はつまらなかったと感じた僕は、再び現場で
働こうと、地元の建設、電気工事関連の会社に転職しました。

 

しかし、この会社。

とんでもないブラック企業でした!!

 

  • 残業100時間越えでも45時間以上の分は出ない
  • 他部署の課長が過労で倒れる
  • 他部署の先輩が現場から帰る途中、過労で居眠り運転し事故を起こす
  • 上司が1ヶ月間無休でうつ病になりかける
  • 転職同期組の一人が入社半年で現場の責任者をやらされる
  • 普通にパワハラ、モラハラ発言をしてくるクソ上司

 

といった様に、めっちゃくちゃな会社でした。

 

「あぁ、この会社過去一番のクソだな。次探さないと・・・」
と思ったのが、入社2週間目の時でした(笑)

 

なのでこの会社は入社1年経たずに辞めました。

 

仕事がバリバリ出来る人ですら過労で倒れる会社です。
不器用な僕が手に負える会社では無いと判断しました。

 

大手電子部品メーカーに転職

ブラック企業を辞めて転職したところは、
大手電子部品メーカーの製造工場。

 

「良い企業に入れたから、転職はもうこれで終わりだ!!」

 

と安心していました。

 

しかし現実は残酷なもので・・・。
僕は工場でも、ミスや要領の悪さで怒られたり、
注意ばかりされていました。

 

「何度同じ事を言わせるんだ!?」
「やる気あるのか?」
「頭おかしいよ!!病院行った方が良いんじゃないの?」

 

こんな様な事を言われたり、陰で言われたりしていくうちに、
僕は自信をすっかり失い、絶望的な気持ちになりました。

 

「僕は何処に行っても居場所がないんだな・・・」
「もういっそ、会社員なんか辞めてバイトにしようかな」

 

周囲の仕事ができる人達を羨ましいなと思いながら、
なんとなく観察するようになりました。

 

で、観察していて率直に思った感想は・・・

「仕事ができる人達なのに、人生全く幸せそうではない」
というものでした。

 

過去4社を経験してきましたが、思い返すとどの会社の上司や先輩達も、

  • 仕事に追われ
  • 時間に追われ・・・
  • 会社のキツキツのルールに縛られ・・・
  • 上司や他部署相手に本来いらない仕事をこなし・・・
  • 自分の時間を削って仕事をし・・・
  • それでようやく得られるお金がせいぜい月40万から50万・・・
  • 奥さんからの小遣いは1日500円

休日の唯一の楽しみは趣味の登山や旅行やテニス。
これはまだまだ良い方で、最も多かったのは
パチンコ、スロット、スマホアプリのゲームをひたすらやる!!

 

そんな姿を見ていて、

「え!?仕事めちゃくちゃ出来る様になっても、行き着く所はコレ?」

 

「こんな生活をあと35年も続けないといけないのか・・・」と、

 

絶望×希望ゼロ

 

という現実に気づき、
仕事を頑張ろうとか、
転職してもっと良い企業に行こうという
気力が無くなってしまいました。

 

「頑張るだけバカバカしい。」

 

そう思えてしまったのです。

 

サラリーマンは所詮サラリーマン。

 

会社の為に馬車馬の如く働き続けても
得られるお金や時間には限界がある。

 

「会社員ってこんなもんなのか・・・」

 

「色んな事やりたいし、海外も色々行きたいけど、
これじゃやれることも行ける所も
めちゃくちゃ限られるじゃん・・・」

 

「このままボロ雑巾の様に使われ続けて、
じじいになっていくのか・・・」

「そんなの絶対嫌だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

「なんとか現状を変えたい!!!!!」

 

そう思った僕は、自力で稼いで生きていける方法を探して試す様に
なっていきました。

 

Amazonせどりから投資まで様々な事に挑戦!!

「会社員を辞める為に、自分で稼げる様にしていかないとダメだな。」
そう思った僕は、副業で稼ぎながら、徐々に収益を増やし、
会社の給料以上に稼げた段階で脱サラしようと決心しました。

 

なのでまず、会社員でも簡単に稼げる方法はないものかという事で
挑戦したのが『Amazonせどり』でした。

 

副業で簡単に挑戦できるという事で、本を買ってきて学び、
家にある不要品を出品してみたのです。

 

商品を出品して僅か1日後、Amazonから商品が売れましたと
メールが来ました!!

 

売った商品は、昔ゲームセンターでゲットした
ONE PIECEに出てくる『ニコ・ロビン』というキャラのマウスパッド。

これが1,300円で売る事が出来ました!!

 

この時はめちゃくちゃ嬉しかったです!!

「凄い!!ネットで売れた!!!!これでどんどん売って会社の給料を
上回ることが出来れば、脱サラ出来る!!!!」

「会社の給料の2倍、3倍稼いで、絶対脱サラしてやる!!」

 

会社の仕事では感じた事のない嬉さ、わくわく感、
飛び上がりたい程の溢れんばかりの感情!!!!
そして会社から抜け出せるかも知れないという希望!!!!

 

自分でお金を稼ぐ事の嬉しさと、人生変えられるかも
知れないという体験を初めて味わった経験でした!!!!

 

ところが、これは長くは続きませんでした。

 

商品の仕入れ(ヤフオクで買ったり、ハードオフで買ったり)、
商品チェック、出品作業、梱包、配送など、
やらなければならない作業が多く、
会社でも家でも労働地獄と化してしまったのです。

 

「ダメだコレ・・・。身体が持たん」
ということで、Amazonせどりに挑戦してから約半年後、
手を引く事にしました。

 

その後も、株、FX、仮想通貨、youtubeと、
様々な事に挑戦しましたが、なかなか成果がでず、
株とFXはコロナショックで合計40万円程損を
してしまいました。

 

月収200万円の男と出会い、人生が変わる

様々な事に挑戦するも、なかなかうまくいかず、

「・・・はぁ~~~っ。」

「このままやりたくもない会社員をあと35年続けるのかぁ・・・」

 


すっかり意気消沈してしまった僕は、なんとなくネットサーフィンをしていました。

 

すると
「なんだ?このブログ?」
とても気になるブログを見つけました。

 

そのブログにはこの様に書かれていました。

  • 大手自動車メーカーを辞めて今はネットビジネスをやっている
  • 寝ていても勝手に月収200万円
  • 世界中を旅しながらパソコン1台で仕事をしている
  • 周りがぶっ飛んだ経営者だらけ

 

これを見て僕が率直に思ったのは
「うわぁ~。胡散臭いし怪しい・・・」
という印象でした(笑)

 

寝ていても稼げるなんて、そんな馬鹿な事が
有るわけがないと思っていました。

 

でも、同時に、
「これが本当だったらめちゃくちゃ凄い事だからなぁ。
プロフィールだけでも見てあげますか!!(謎の上から目線)」

 

という事で、僕は疑いの目線からプロフィール記事を
読んでいきました。

 

すると意外なことに、言っている事は結構まともでした。

  • 貧乏な家庭で育ってお金に苦労したこと。
  • 大手自動車メーカーの悲惨な日常で鬱になりかけたこと。
  • 会社員のままだと未来が絶望的に感じた事。

 

僕も以前、自動車部品の設計の仕事をしていましたが、
その時に感じた仕事のつまらなさと無駄な忙しさ、
車作っているより、資料作っているんじゃ無いか?という
疑問が全て記されていました。

 

記事を読みながら僕は、
「あるある。本当に車より資料作ってるよね!!」と、
独り言をぶつくさ言いながら読んでいました。

 

この過去の経緯や考え方、思っている事を見て、
「この人、もしかして本物じゃね?」と、
疑いの目線から信用の目線に切り替わっていきました。

 

そして一番共感したのが、
トヨタに勤めているときに
おばあちゃんとお父さんが亡くなってしまい、
仕事が忙しくて孝行出来なかった
という悔しさを経験したという場面。

 

その辛い経験から、
「会社員のままではダメだ!!」と強く感じ、
ネットビジネスを始めたという部分は、
僕の人生の現状にも大きく重なりました。

 

記事を読み終えた頃、
僕は自然とメルマガ登録していました。

 

そして、メルマガの内容も非常に内容が濃く、
「僕もネットビジネスで人生変えてみたいな!!」と、
希望を持てるようになったのです。

 

そして現在、僕はこの『月収200万円の男』から学べる教材を
購入し、人生を変えるべく再始動する事になりました!!

 

「絶対人生変えてやる!!」
「お金にも時間にも不自由しない人生にしてやる!!」
「馬鹿にされっぱなしの人生をすべて覆してやる」
「両親、弟ともっと関わって、後悔しないようにしてやる!!」
「彼女作って幸せな家庭持てるようにしてやる!!」

 

僕の中で、ぼんやりしていた夢が、実現させたい目標に
変わった瞬間でした。
(この時期に僕はビジョン(人生の夢、目標)を作り上げました。)

 

人生を変えるきっかけを与えてくれた男に、実際に会ってみた!!

僕がインターネットビジネスに興味を持ち、人生を少しずつ変えていく
きっかけを与えてくれた、『月収200万円の男』のMさん。

 

彼のメルマガに登録し、教材を購入し、僕はビジネスを少しずつ学ぶ
様になりました。

 

仕事が終わったら彼の教材動画を観て、日常でも彼の教材の音声を聴く。
そんな生活に変わっていきました。

 

「懇親会とかあったら、実際に会ってみたいなぁ」
と思っていたそんなある日のこと。

 

いつも通り、メールをチェックしていると、メールの件名に
【懇親会の案内あり】というタイトルを発見!!
「まさか!!」と思い
すぐに確認すると、Mさんからの懇親会案内メールでした!!

 

内容を確認すると、今回は2日間の合宿形式でやるとのこと!!
以前から一度会ってみて、
どんな人か?
周囲の人と経営者では考え方がどう違うのか?
本当に信用できる人なのか?

 

この目で確認したかったのです!!
「絶対参加したい!!なんとしても参加したい!!」
そう強く思った僕は、会社のシフト表を即確認。

 

懇親会1日目が出勤日だったので、
上司に即有休申請をしました!!

 

有休を取られる事を嫌がっていた上司でしたが、
執念で強引に有休許可を取りました!!
(仮に有休の許可が出なかった場合は病欠で休むつもりでした!!)

 

「会社なんか行っている場合では無い!!」

 

人生の重要な分岐点です!!
会社がどうとか言っている場合ではありませんでした!!

 

有休をしっかり確保し、待ちに待った懇親会当日。

 

懇親会の集合場所は、東京のオシャレなカフェでした。

 

他の参加者の方も席に座っており、Mさんが
来るまでお互いの自己紹介や、今どんな情報発信をしているか
などの話をしました。

 

そして暫くすると、
月収200万円の男Mさんが姿を現わしました。

 

印象は好青年でとても落ち着いていましたが、
オーラと自信がとてつもないというのが伝わってきました。

 

会話をしようと思ったのですが、最初は緊張してうまく
話しかけることが出来ませんでした。

 

他の参加者の方も緊張している様子でしたが、
Mさんが気を遣ってくれて、懇親会参加者
全員が話しやすい場にしてもらえました。

 

実際お話ししてみるととても気さくな方で、
懇親会参加者のメンバーや僕が今インターネットビジネスで
悩んでいる事や、不安に感じている事に対して
的確にアドバイスを下さいました。

 

そして彼の懇親会はとても内容が濃く、

  • ビジネスの原理原則
  • 思考する重要性
  • アイディアの出し方
  • 日頃の意識の仕方と行動の仕方
  • 目的意識の重要性
  • 改善してトライする大切さ

 

たった2日でめちゃくちゃ濃密な経験と学びを得る事が
出来ました!!

 

「この人は本物だ!!口だけの人じゃない!!」
僕の中で、ビジネスについてはこの人から
徹底的に学ぼうという確信を持つことができました!!

 

こうして僕シモシの、本格的な人生逆転物語が
スタートするのでした!!

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僕は月収200円を稼ぐ若手企業家と出会ってから、
インターネットビジネスの世界を知るようになりました。

僕は地元の情報通信会社、自動車部品設計会社、
建築・電気工事会社、大手電子部品メーカーの製造業会社と
3回転職をしてきました。

理由は僕がポンコツ過ぎることと、どの会社に居ても、
労働地獄と退屈な日常にうんざりしていたから。

そんな時に出会ったのが、月収200万円の若手企業家です。
めちゃくちゃ怪しいですよね。

僕自身も最初は怪しい人だと思っていました。

しかし、彼の発信している情報はとてもまともな事を
発信していて、様々な事を学ばせてもらう様になりました。

それまで人生にウンザリしていたのですが、
インターネットビジネスの世界を知ってから、
毎日がイキイキするようになりました!!

インターネットを通じて、自分の存在価値を認められる嬉しさや、
同じ様な境遇の人に価値を提供出来る。

僕自身、こんなに気持ちに変化が現われるとは
思っても居ませんでした(笑)

 

これまでの僕の人生や、
月収200万円の若手起業家との出会いの
ストーリーはこちらから↓

シモシの人生逆転を目指す物語

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  • この記事を書いた人

シモシ

超絶不器用サラリーマン!! 「不器用」「要領が悪い」「のろま」という、会社員には全く向いていない、『社会不適合者』。 そんな僕が、インターネットで月収200万円の男と出会い、インターネットビジネスに興味を持ち、挑戦します!! インターネットビジネスを通して、ポンコツサラリーマンから人生の大逆転をする事が出来るのか? 僕自身も楽しみです!!

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