
こんにちは、シモシです。
香川・愛媛・広島・姫路を巡る3泊4日の旅行もいよいよ終盤。あっという間に終わりに近づいてしまいました。
旅行最終日は、時代劇などでお馴染みの姫路城を観光!
姫路城は国宝、重要文化財として指定されているだけでなく、
ユネスコの世界遺産登録もされています!!
ちなみに僕は、歴史にもお城にも全く詳しくありません💦
なので、姫路城や歴史について調べて学びながらブログ記事を書いています。姫路城ってこの時代が起源なのか~!!とか、黒田 官兵衛ってこんな人だったんだぁ~!!とか、独り言言いながら記事書いてます(笑)
あと、城の中がかなり暗かった関係で、城内の写真がノイズだらけで見辛いですが、ご容赦ください。
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目次
姫路城と歴史
兵庫県姫路市にある日本を代表する城。それが姫路城です!シラサギが羽を広げた様な優美な姿から、別名白鷺城(しらさぎじょう)とも呼ばれています。
国宝・世界遺産にも選ばれており、江戸時代以前に建設された現存12天守のひとつで、最も大きい現存天守です。
姫路城観光用の駐車場に車を停めましたが、駐車場から既に姫路城がみれます。
現在の姿の姫路城は、慶長14(1609)年に池田 輝政(いけだ てるまさ)により大規模な城郭(じょうかく)へと拡張されました。
池田 輝正は安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名です。徳川家康の次女 督姫(とくひめ)を妻にしています。
こちらが池田 輝政です。
姫路城の始まりは戦国時代よりも大分昔に遡ります。
1346年(南朝:正平元年 北朝:貞和2年)、南北朝鮮時代の武将 赤松 貞範(あかまつ さだのり)が姫山に築いたとされています。
当時は城ではなく小規模な砦・館の様なものでした。
こちらが赤松 定範です。
姫路城が城の姿になったのは戦国時代でのこと。戦国時代の武将 黒田 重隆(くろだ しげたか)が城郭として拡張しました。姫路城の誕生です。
黒田 重隆は、軍師 黒田 官兵衛の祖父です!
黒田 官兵衛といえば豊臣 秀吉の側近で、毛利攻めに向かう秀吉に姫路城を献上した事で有名な人物です!
こちらが黒田 官兵衛です。
姫路城の魅力
姫路城の姿が美しいのは外観だけではありません!!
見た目も美しいですが、敵が攻めてきたときの仕掛けや、城内の機能性も含めて魅力がいっぱいあります!!
外観
城・城壁・石垣全てのバランスが美しいです!!そしてこの風格!!城や歴史に詳しく無くても興奮する姿です!
姫路城は地下1階、地上6階の造りになっている様で、近づきすぎるとカメラに全然収まりません!
このデカさはビルです!!
石垣もこの美しさ!!
完全な直線ではなく、緩やかにカーブしています。これを石で組み、石垣の上に城を建てているのだから驚きです。
幾何学模様の壁に空いた穴。実はコレ、挟間(さま)と呼ばれる攻撃用の穴です。この穴から鉄砲・弓矢で敵を攻撃します。
門
入場口から歩いてしばらくすると見えてくるのが、「菱(ひし)の門」と呼ばれる門で、場内にある門の中で一番多きな門です。門の形式は櫓門(やぐらもん)と呼ばれる形式で、安土桃山時代の様式を残す門です。
こちらは「にノ門」です。敵が門を通過しようとすると2階の床(天井)を外して、総攻撃できる仕組みです。
城内には門がいくつもあります。こちらは「ほノ門」です。いろは順の門と、「水一門」から「水六門」の門があります。
門は狭く作られており、通路は狭い上に迷路の様に複雑に作られています。観光用に順路が示された看板がありますが、それでもこの渋滞・・・。
昔、姫路城を襲撃しようと数多の敵が押し寄せてもこの様に渋滞してしまっていたのかも知れません。身動き出来ない状態で城壁から弓矢や鉄砲の弾が飛んできたら、敵にとってはひとたまりもないですね。こちらは渋滞している「水二門」です。
いくつもの門をくぐり、ようやく大天守入り口の「水五門」へ。
「水五門」をくぐると最後の門「水六門」があります。
入り口をくぐっても門があるのです(笑´∀`)
こちらは「水五門」です。
大天守 地階
いよいよ姫路城大天守の中です!長かった~。城内は土足厳禁です!靴をビニール袋に入れましょう!
姫路城大天守地階にある武具庫です。窓が無いため真っ暗です。当時どの様に武具を保管していたのか気になります。
姫路城の柱です。一つ一つの柱・梁がとても太いです。
大天守 1階
姫路城大天守1階の中はとても広く、窓も多いため結構明るいです。
写真の廊下みたいなところは「武者走り」と呼ばれるところの様で、戦闘時は武士が行き交い敵兵に鉄砲玉を浴びせるのが目的だそうです。
武者走りに囲まれた写真の大広間みたいなところは、「内陣」と呼ばれています。
金庫の様な重厚な鉄板に覆われた扉を発見!!
大天守1階と二の渡櫓を結ぶ扉とのこと。大天守に向かう扉は全部で4つあり、そのうちの一つです。大天守に向かう扉は全て二重扉になっており、二重目の扉は鉄板で覆われています。扉の外側、内側からカンヌキがかかるようになっており、帯刀した状態では通れない造りです。
大天守 2階
2階は1階の造りに似ていますが、目立ったのはこの太い梁!!どうやって運んで組み立てたのか謎です!!
大天守 3階
3階中央にデカデカと目立つ「東大柱」!!
ブログを書いているときに調べていて知ったのですが、姫路城3階は見所が沢山あったようで・・・。観光している時はひたすら人が多かったので、じっくり見れませんでした(T-T)
大天守 4階
4階北西にある千鳥破風内の様子です。(写真正面です)屋根に出られる開き窓があります。
写真汚くてすみませんm(__)m
大天守 5階
5階は「東大柱」と「西大柱」がある大広間で、広さは約70畳あるそうです。
また、姫路城は外から見ると5層構造に見えますが、実際は地下1階+6階建て構造になっているため、5階を最上階と思い込む様な造りになっています。
そして窓が少ないのでとにかく暗い!!写真撮るとき、ビデオ撮影するときはかなりキツいです。
こちらは5階「東大柱」です。
こちらは「西大柱」です。
大天守 最上階
ようやく姫路城最上階に到着です!!ここは窓が多いため結構明るかったですが、台風が近づいている影響で風がかなり強かったです。暑い夏場は快適かも知れませんが・・・。
そして、なんと!最上階には神社があります(゚Д゚)
姫路市に3つ祀られている刑部神社(長壁神社・おさかべじんじゃ)のうちの一つが、この姫路城最上部に祀られているのです!!姫路城を守る守護神です。
姫路城最上階からの眺めです。当時はここから城下町が見れたのですね。
おまけ
播州皿屋敷でお菊が井戸に投げ込まれたと言われている「お菊井戸」です。夜な夜な井戸に現われるお菊の亡霊が「いちまぁ~い…にまぁ~い…さんまぁ~い…」と皿を数えているという怪談話で出てくる井戸がこちらです。
中を覗いたらかなり深そうでした。夜は見たくないね。