不器用すぎて会社も、日本も、人生も嫌になった人へ。パソコン1台あれば変えられる!!

やたら部屋がムシムシしていた
2020年6月下旬。

 

僕は額に汗を滲ませながら、
死んだ魚の目をして
パソコンの画面を眺めていた。

 

その時の僕は、会社も日本も、
自分の人生も
嫌になっていた・・・。

 

そんな僕が、パソコン1台で
別人のように変わったのは
それから半年後のことだとは、
この時知る由もなかった。

 

僕の名前はシモシ。
会社員だ。

 

僕は昔から、
鈍感で、不器用で、頭も悪く、
記憶力も悪くて要領が悪いうえ、
運動神経も鈍い。

 

会社では仕事が出来ず、
怒られてばかり。
転職を3回して分かったのは、
自分は無能な人間なんだということと、
日本は仕事ができない人間に居場所がないという
殺伐とした現実だった。

 

一時期は本当に無能な自分が
嫌で嫌で、死にたいと思った事もあった。

 

そんな僕だが、
ひょんなきっかけで
インターネットビジネスの
世界に入り、今では情報発信を
行なっている。

 

この世界の面白いのは、
僕の師匠も、周りで稼いでいる
ビジネス仲間も、もともとは
コンプレックスだらけだった
人達だということだ。

 

僕の師匠は年収3,600万円稼いでいるが、
もともとは大手メーカーに勤めており、
プレゼンで全然喋れなかったり、
仮病で会社を休んでいたと言う。
最終的には鬱寸前になり、
会社を辞めたのだそうだ。

 

そして師匠はこう言っていた。
「インターネットビジネスの世界では、
コンプレックスがある人の方が
苦しみや痛みを知っているから、
共感する人を集められる。」

 

「そして、発信する情報や、
商品として出す情報によって
人の人生を大きく変える事が
出来る。」と。

 

僕は師匠の影響を受け、
今ではパソコン1台で
情報発信しているが、
「こんな僕でも人の役に立てるんだ!!」と
実感する場面が沢山あった。

 

例えば

  • 僕がスキルも経験も無いなか、
    すぐに5万円稼げる方法を師匠から
    教えて貰い、試したら本当に
    簡単に5万円程稼げてしまった。

 

  • 上記、スキル不要の稼げる方法を
    人に教えたら、その教えた人も
    簡単に稼げてしまったようで、
    「こんな方法知りませんでした!!
    ありがとうございます!!」と
    とっても感謝された。

 

  • ブログ記事を書いて投稿していたら、
    「記事冒頭の書き方で、ポエムっぽい
    書き方がるなんて面白いです!!
    勉強になりました」と言って
    喜んで貰えた。

 

  • ブログのプロフィール画像が
    しっくりこないというお客さんに、
    プロのイラストレーターが描いた
    プロフィール画像を提供した。
    そしたらブログの反応が良くなり、
    70万円稼げたと驚いていた。

 

  • 上記、プロフィール画像の提供サービス
    を行なったことで、僕自身も
    稼ぐ事が出来た。

(プロのプロフィール画像を提供する
サービスについて、詳しく書いてある
記事はこちら。
誰でも再現出来るサービスです。)

3分でビジネスを作れる!?作り方なんて超簡単!!それは・・・

2021.03.01

 

  • Twitterを見ていて、
    明らかに稼げない方法で
    ブログ運営している人に
    アドバイスをしたら、
    ひたすら感謝された。

 

こんな様に、
ちょっと思いつくだけで
こんなにも喜んでくれる
人達がいた。

 

正直、
「こんなに喜んで貰える
ものなのか・・・」と
驚くことだらけだった。

 

僕が知っている知識や
経験、学んだ事を、
伝えたりアドバイス
したことがほとんどなのに・・・だ。

 

そして、
『人に喜んで貰える』って、
とても気持ちがよいものだった。

 

なんというか・・・、
もっと喜んで貰いたい!!

 

そう思えてくる。

 

それから僕は、
死にたいと思う事がなくなり、
今では別人のように考えたり、
行動できる様になってきた。
詳しくはこの記事で説明していく。

 

しかし、
この世界に出会うまでの僕は、
本当にどうしようもなかった。

 

無能だった人間が、
社会人経験で思い知らされた、
苦しみと葛藤の出来事を
ここでお話ししよう。

————————————-

僕、シモシはとても不器用だ。

 

不器用で、
頭も記憶力も悪い。
要領も悪いのでムダばかり。

 

そして鈍感だった。

 

それはもう物心ついた頃からで、
体育の授業でバスケットボールを
やっていたときのこと。

 

ドリブルしているつもりが
足でボールを蹴ってしまい
体育の先生から
「シモシ!!サッカーやないぞ!!」と
言われるくらい不器用で運動音痴でも
あった。

 

既にこの頃から、僕は他の人より
不器用だったのだが当時は厨二病だったので、
「まだ本気を出していないだけだ!!」
「僕が本気をだしたらこんな奴ら、
あっという間にぶっちぎってやる!!」と
残念な考え方をしていた。

 

そんな厨二病と鈍感の
見事なコラボレーションにより、
変なヤツ、『シモシ』は
なんとなくで学生時代を
終える事ができた。

 

不器用鈍感人間、社会に出て洗礼を受ける

そんな僕も社会人になってからは、
流石にこのコンプレックスが
大きく影響を及ぼしてくる。

 

専門学校を卒業した僕は、
地元では有名の情報通信会社に入社。

 

当時は社会の厳しさなど知らなかったので、
「気合いと根性で頑張ろう!!」と
子供みたいに意気込んでいた。

 

しかし、入社して仕事をしてみると
仕事ではミスを連発。

 

言われた申請業務を完全に忘れていたり、
同期が1時間程で終えられる仕事を
3時間も掛けてやっていたり、
社長の運転手を任されたにも関わらず、
肝心の社長を思い込みで置いて来て
会社に戻ってきたり・・・。

 

当時は完全にずれている考えをしていたので、
「今より行動を2倍の早さにすれば
仕事も2倍の速さで終えられるハズだ!!」と
本気で考えていた。

 

しかし、
実際そんな事が出来る訳もなく、
「なんで僕だけこんなに仕事が出来ないんだ・・・」と
思う様になっていくのだった。

 

当時仲の良かった同僚や、
先輩達が辞めていく中、
励ましてくれる人も楽しみも
なくなってしまい、仕事のキツさと孤独から、
僕は精神的にも病んでいってしまった。

 

優秀な人や、幸せそうにしている人を見ると、
「なんで僕は良い人生にならないんだぁぁ!!」
「この会社に居るからいけないのか!!!!」
「仕事が僕に合わないからなのか!!!!」と
思う様になった。

 

情報通信会社に勤めてから
6年と8ヶ月後。

 

僕はついに転職に踏み切るようになった。

 

憧れていた県外の自動車部品設計の会社に転職。憧れは所詮憧れに過ぎなかった

転職すれば僕も完全に生まれ変われる!!

 

そう信じていた僕は、
昔から憧れていた県外の大手自動車メーカーの
関連会社で部品設計をしている会社に入社した。

 

しかし、所詮憧れなんてものは空想上のはなし。

 

現実は残酷なものだった。

 

当初は、
「設計の仕事なら、車で移動したり、
複雑な工事を行なったりしないから
やっていけるだろう」と
考えていたのでした。

 

甘かった・・・。

 

実際に設計の仕事をやると
情報通信会社の工事の仕事よりも
ある意味地獄だった。

 

車の開発は複数台同時進行で
進んで行く。

 

当然部品も複数同時で開発を
進めて行く。

 

なので、
マルチタスクで仕事をさばくのが当たり前だった。
しかも、日本を代表する大企業から受ける仕事。
容赦ない仕事量が毎日降り注いできた。

 

僕はそこでもポカミスの連続。
仕事でミスをすると、大企業なので、
『ななぜなぜ分析』というもので、
なぜミスをしたのか?

 

原因追及させられた。

 

僕はこの『なぜなぜ分析』が本当に
いやだった。

なぜなぜ分析とはその名の通り、
なぜミスが発生したのかを分析する
方法のこと。

 

例えば、
会社の資料に英語で名前を書く
必要があったが、日本語で書いてしまった。

 

なぜか?

 

これを5回やると、
真因(真の原因)に近づける
というものだ。

 

そして、その真の原因に対して、
『再発防止策』という、再発
しないためにはどんな策を
講じれば良いのか?
ということまでする。

 

これが本当に嫌だった。

 

まるで犯罪を犯した犯人が
尋問を受けているみたいな感覚だったからだ。

 

自分で行動や考え方の間違いを認める日々。

 

まるで僕という存在を僕自身が
否定しているかの様な苦痛が伴った。

 

そして再発防止策というものを
考えなければならない。

 

僕はミスが多かったので、
「どれだけ再発防止策するんだぁぁぁっ!!」と
いう感じだった。

 

また、僕が不器用で要領が悪すぎたので、
それに伴うショックだった出来事があった。
それは、後輩からとてもキツい言葉を
言われたときの事だった。

 

ノー残業デーとしていたとある水曜日の
出来事。
この日は19時から駅前でグループの
飲み会が行なわれる予定の日だった。

 

なので、グループ内では
「17時には帰れる様に!!」と
皆意気込んで取り組んで居たのだが、
要領が悪すぎた僕は、17時15分まで
掛かってしまった。

 

少し遅れて飲み会会場に
到着すると、先に仕事を終えて
会場に来ていた後輩から、
こんなことを言われた。

 

後輩(相当不機嫌な顔で)
「え!?遅すぎないですか?
何やってるんですか?
しっかりして下さいよ。
はぁ~。残念です。」

 

これを言われたとき、
本当にショックだった。

 

ただでさえ自己否定感が
ハンパではない状態になっていた
時期こともあり、これはトラウマに
なった。

 

それからも僕は仕事でミスが続き、
「僕は他の人より頭が悪いのかぁ・・・」
「頭に異常があるんじゃないのか???」
と思う様になってきた。

 

自動車部品設計会社に勤めて
2年目の2014年の夏。
僕は脳神経外科に行った。

 

脳ドックを受けてCTスキャンを撮って
貰うためだ。

 

当時の僕は本当に不安になっており、
脳腫瘍にでもなっているんじゃないのかと
思っていたからだ。

 

心配していた診断結果は、
特に異常なし・・・。

 

嬉しいのと同時に、
「じゃあ何が悪くてこんなに記憶力も
思考力も悪いんだ???」と、
余計ワケが分からなくなってしまった。

 

それからも僕は
ポカミスや要領が悪い影響で
先輩達や後輩に迷惑ばかり掛けてしまう
日々が続き、流石に精神的に
限界が来てしまった。

 

「これ以上続けても周りに迷惑が掛かる。」
「無能な人間にはこの仕事は無理だ・・・」

 

2014年9月。
僕はとうとう決断した。
「もう・・・・辞めよう」と。

 

そしてグループリーダーに
事情を話し、2014年いっぱいで
僕はこの自動車部品設計会社を
辞めることにしたのだった。

 

まさか転職してから2年で辞めるとは、
僕自身も思っていなかったので、
自分の無能さにショックだった・・・。

 

自分を見つめ直すフリーター時代

自動車部品設計の会社を辞めてから
2015年3月いっぱいまでは、
仕事が無いのでフリーターをやっていた。

 

「僕には一体何が出来るんだろうか?」
「中小企業の情報通信会社でも
旨くやっていけず、大手下請けの
設計業務でもうまくやっていけなかった・・・。」

 

僕は完全に自信を失ってしまい、
会社員として働く事が
怖くなってしまった。

 

「また就職した先でも、
ミスを連発して誰かに迷惑を
掛けるんじゃ無いか?」

 

「また沢山怒られて精神を磨り減らす
事になるんじゃ無いか?」

 

仕事を探しているといつも
そんな事が頭をよぎり、
なかなか踏み切れなくなってしまっていた。

 

ずっと不安なままだったが、
それでも何処かで働かないと
いけないなと思い、
ハローワークに通い詰めて
転職先を探し続けた。

 

そこで見つけたのが、
地元の建築工事・電気工事を
行なっている中小企業。
現場仕事の会社だ。

 

建築の事はなにも分からない。
でも、電気だったら、弱電(通信系)
だったら情報通信会社でやっていたから
そのスキルが使えるかも知れない。

 

「今度は自分を磨くためにも、
頑張って技術を更に身に付けよう。」

 

そう思いながら、
その建築・電気工事の会社に
応募し、内定を貰もらうことができた。

 

建築・電気工事の会社はブラック企業。優秀な人間も潰れる会社だった・・・

「自分のスキルを磨いて、
食いっぱぐれない人になろう!!」

 

「不器用で要領が悪かった
今までの自分から変わろう!!」

 

そう決心して入社した、
建築・電気工事の会社。

 

しかし、
その想いは入社後1ヶ月も立たないうちに
打ち砕かれるのであった。

 

日々目まぐるしく状況が変わる現場。

 

広い現場建物内の複雑な状況把握。

 

関連会社との緻密な情報のやり取り。

 

計画を立てつつ同時並行で作業を
進めなければならないのが
当たり前という環境。

 

要領が悪く、
記憶力も悪く、
思考力も悪い。
そしてマルチタスクが大の苦手。

 

そんな僕にとっては、
相性最悪の仕事だった。

 

そして、
上司や先輩達を見ていると
尚更心が打ち砕かれた。

 

僕とは正反対で、
要領が良く、
記憶力も良く、
思考力も良い。
そしてマルチタスクも出来る。

 

そんな上司や先輩ですら、
毎日朝早くから仕事をして、
帰宅は深夜1時。

 

しかも、
毎日時間と仕事に追われ、
全く余裕が無い様子を見ていると
ただただ絶望だった。

 

僕は電気工事の資格を持っておらず、
雑用の様な仕事ばかりやっていたが、
雑用仕事でもミスを連発。

 

しかも、
会社の上司や先輩で憧れる人が
全くいなかったので、
会社も仕事も嫌になるばかり。

 

「あぁぁぁぁぁぁぁっ!!無理だぁぁぁぁぁ!!こんなのぉぉぉぉぉぉっ!!」
「・・・辞めよう・・・」

 

職場の地獄みたいな環境を
目の当たりにした僕は、
この会社に勤めてから
たった2ヶ月後には本格的に
転職活動をすることにした。

 

会社の昼休憩中と帰宅後は
Indeedで求人探し。
休日は履歴書作りと面接。

 

そんな日々が始を送るようになった。

 

現場の仕事も無理。
設計の仕事も無理。
営業の仕事も無理。
難しくて複雑な仕事も無理。

 

あと出来る事としたら何がある?

 

求人票を見ながら考えて、
出てきたのは工場での仕事だった。

 

工場はひたすら同じ作業の
繰り返しが多い。

 

また、
大手の工場であれば、
大型連休もあるので、
モチベーションを維持する事も
できると考えた。

 

蕎麦の工場、
ネジを作る工場、
ワイン工場、
自動車部品の中古品をオークションに出す会社など、
様々な企業に応募しまくった。

 

そして2016年1月、
たまたま新聞の求人広告で
大手電子部品メーカーの工場が
求人を出していたのを発見した。

 

この会社は以前にも
応募したかった会社なのだが、
その時は求人募集していなかったため
諦めた会社だった。

 

「これはチャンスだ!!
今度こそここで働けるようにしよう!!」と、
全身全霊で応募しなんとか
内定を得ることができた。

 

「いやったぁぁぁぁぁぁ!!!!!
これでブラック企業を辞められる!!!!!」

 

「工場なら、
僕の様な不器用で要領が悪くて
頭が悪くても、なんとかなるだろう!!」
この時は本当に本当に嬉しかった。

 

これで人生逆転できただろう!!
そう確信していた。

 

大手電子部品メーカーの工場に入社。また打ちのめされる

念願の大手電子部品メーカーの
工場に入社した僕は、
『ここから人生逆転出来る』と
期待に胸を踊らせていた。

 

これまで散々、
自分のゴミ人間っぷりに
ウンザリさせられてきたし、
思考力も記憶力も要領も悪かったので、
ボロボロの状態だったからだ。

 

工場の機械オペレーターであれば、
同じ作業の繰り返しなので、
流石に不器用で能力がなくても
出来るだろう!!

 

そう思っていた。

 

が、またしても甘かった・・・

 

この大手電子部品メーカーの工場では、
ひたすらベルトコンベアから
物が流れてきてネジ留めするとか、
組み立てるという仕事ではなかった。

 

具体的にどんな仕事かというと、
製品を作る機械の操作を行なうだけでなく、
製品を計画通りに作る為、
臨機応変にオペレーター(従業員)が
計画を調整したり、作る製品を調整したり
する必要がある仕事だった。

 

日によって作る製品が違うので、
作る製品に必要な材料を機械に入れたり、
型をセットしたり、作る製品によって
機械の加工するプログラムを選択したりなど。

 

結構頭を使うし、
要領の良さが必要だった。

 

扱う機械も1台ではなく、
複数台見る必要があった。
苦手なマルチタスクが要求された。

 

そんな環境の為、
僕は案の定、頻繁にポカミスや
材料間違い、プログラムの
選択ミスなどをしていた。

 

また、要領も悪いので、
回りの人達よりも生産出来る数が
少ないのもしょっちゅうだった。

 

次のシフトの人への引き継ぎでは、
「これ準備してないじゃん!!」
「なんでまだこんな数しかこなしてないの!?」
「やりかけの作業多過ぎ・・・わざとなの?」
と言われる始末。

 

あるときは、
「頭おかしいよ。
病院で診て貰った方が良いんじゃ無いの?」
と言われ、僕はADHDを疑った。

 

ADHDとは、脳の前頭葉の機能が弱い
人の症状で、一時的に記憶しておく力が
弱いのが特徴。

 

なので、直ぐ忘れる、
物覚えが悪い、「コレをやろう」と思った
次の瞬間には、別の事に意識が
向いてしまうという障害のこと。

 

ADHDだとしたら、
これまでの仕事の出来無さにも納得
出来るなと思ったのと同時に、
もしその診断が下されたら
どうなるんだろう不安を抱えながら、
診察を受けた。

 

ADHDの診断テストの一部はこちら

診断は、上の画像の様な
アンケート形式の物と、
積み木を使ったり、イラストが
書かれたカードを選んだりする
能力テスト形式のものがあった。

 

診断の結果は特に異常なし。
至って普通で、僕のポカミスや注意力の無さは
個性の範囲とのこと。

 

「個性の範囲って・・・」
「こんなゴミみたいなのが個性ってなんなん?」
「こんな個性いらないよ!!!!!」

 

診断を受けて尚更意味が
分からなくなった。

 

ある日、
僕が病院でADHDの検査を
受けたという話しがどこかで
噂になり、普段から嫌味を言う先輩が
「えwww頭の病気か見て貰ったのwww」

 

ニヤニヤしながら馬鹿にした様子で
色々と聞いてきた。

 

ぶっちゃけめちゃくちゃ
イラっとした。

 

「クソッッッッッッッ!!!!!
なんでこんな風に言われなきゃいけないんだ!!!!!!」

 

「僕も別にこんな風になりたくてなってる
わけじゃないのに!!!!!!!」

 

「なんでこんな人を馬鹿にするヤツらに
能力があって、僕には能力がないんだ!!!!!!」

 

「こいつらが無能になれば良いのに!!!!!!!
そして周りから馬鹿にされる苦しみを
味わえ!!!!!」

 

と、
めちゃくちゃ悔しい思いをした。

 

めちゃくちゃ悔しくて、
怒りがこみ上げてきて、
「ふざけんなぁぁぁぁっっっ!!!!!!」と
叫びたかった。

 

けど、
「こんなところで怒ったところで
なにも変わらない・・・」
「世間から見たら、明らかにおかしいのは
僕の方だと思うだろう。」
と自分を押させ、なんとか適当に
やり過ごした。

 

それからも僕は、
周りから注意ばかりされても
「すみません」と言って謝ったり、
なるべく笑顔で過ごそうと心掛けて
いた。

 

無能はこうやってやり過ごすしかない。
そう悟った。

 

そんなある日のこと。
僕が残業して他の工程を
手伝っている時に、次のシフトが
来る時間になったのだが、
慣れない工程で手間取っていた。

 

そのため、
スムーズに引き継ぎの準備が
出来ていない状態に
なっていた。

 

その時、一緒に作業をしていた
同年代の人がいたのだが、
見かねたその人がこう言ってきた。

 

「僕と同い年だよね。
もういい歳なのに、
こんなことも出来なくて
恥ずかしくないの?
もっとしっかりしてよ!!」と。

 

この言葉を言われて僕は、
過去に自動車部品設計会社にいたとき、
後輩にキツい事を言われた時の事が
フラッシュバックした。

 

で、気付いたら
目頭が熱くなり、
涙が流れていた。

 

頭が真っ白になり、
手が震えていた。

 

「あの時から全然
変われていないのか・・・・」と
死にたい気持ちになった。

 

なにもかもどーでもよくなる。自暴自棄

現場の仕事も、
設計の仕事も、
工場の仕事も。

 

過去4社経験してどの会社も
ポンコツっぷりが発揮されて、
悔しい思いと自己否定感に
打ちのめされ続けてきた。

 

「僕は何処に行ってもゴミでしかないのか・・・」

 

「日本で僕を必要とする場所は無い・・・・」

 

そう思った僕は、
ショックな事を言われた日、
会社が終わると山道を
時速120kmで飛ばしながら、
爆音で好きな音楽を流して
爆走した。

 

「もうこんなクソ人生どーでもいーや。」
「死ねばええんやろ?死ねば!!」
「せいぜい笑えやクソどもが!!!!!」

 

この時は本当に、
さっさと死にたい。
そう思った。

 

死ねば楽になれるし、
誰にも迷惑かけない。

 

生まれたのが間違いだった。
そう思うと、運転しながら
涙が流れた。

 

何もかもが悔しかった。

 

ほんとに。。。

 

人生の転機

もうこんなクソ人生どーでもいいや。

 

そう思って過ごしていた僕は、
毎日ダラダラYouTubeや
ネットサーフィンをやって
過ごした。

 

それまでは彼女作りも
頑張ろうとしていたが、
こんなゴミ人間に、彼女なんて
作れる訳がない。

 

そう思い、
彼女作りも完全に放棄した。

 

で、その時
フィリピンに住んでいるYouTuberの動画を
好んで観ていた。

 

理由は、
フィリピン社会は相当ヌルいという
話しがめちゃくちゃ心に
響いたからだ。

 

フィリピンには僕も観光で行ったが、
日本人に比べて全然穏やかだし、
周りの人達も明るい。
そしてパーティ好きだ。

 

ミスに対しても
「いいよいいよ。気にしない」
というスタイル。

 

しかも
フィリピン全体がこんな感じ。

 

だからこそ、
経済があまり発展していないという
説はあるが、それでも生きやすいと
感じた。

 

フィリピン在住のYouTuberの動画を
観ていくうちに、
「僕もこんな殺伐とした日本は出て、
フィリピンで生きていった方が
生きやすいんじゃないのか・・・」と
思う様になってきた。

 

人の悪口。
足の引っ張り合い。
責任のなすりつけ合い。
同調圧力。
完璧人間主義。

 

日本の堅苦しくて、
ストレスだらけの生活なんかより、
フィリピンでのびのび暮らした方が
幸せかもしれない。

 

本気でそう思う様になった。

 

実際、そのYouTuberの方も、
日本での生活よりフィリピンの生活の方が
楽しいと言っていた。

 

また、動画の質問コーナーで
視聴者の方から、
「日本のストレスまみれの生活が嫌なので、
フィリピンで暮らしたい。
フィリピンではどんな仕事があるのか?」
という質問を読み上げて答えている
場面もあった。

 

僕も本気でこの国を出ようかな。

 

常にそう考える様になっていた。

 

フィリピンでの生活などについて
調べていたそんなある日。

 

事件が起こる。

 

なにやら気になるページが
出てきた。

 

『パソコン一台で生活し、
世界一周を旅しているという
企業家』という怪しさマックスの
ブログサイトだった。

 

それが今の師匠と僕の、
そして、インターネットビジネスとの
始めての出会いだった。

師匠とインターネットビジネスとの具体的な出会いはこちらの記事から

 

コンプレックスまみれだからこそ必要とされる世界。それがインターネットビジネスの世界

インターネットビジネス。
それは、パソコン1台と
ネット環境さえあれば、
だれでも挑戦できる、
『可能性しかないビジネス』だ。

 

なぜなら、
ブログ、YouTube、Twitterなどを
通して人の役立つ情報を発信したり、
人が欲しいと思う情報や技術を
自分で商品にして売る事が出来る
ビジネスというかお仕事だからだ。

 

会社の上司や先輩から
嫌味を言われることもないし、
自分自身のビジネス、お仕事なので、
「もっとお客さんの役に
立てる様になりたい!!」という
向上心も湧いてくる。

 

そして、会社ではお荷物の
ポンコツでも、ネット上では
めちゃくちゃ感謝される事が
沢山ある。

 

自分自身、人の役に立てているという
充実感や、自己肯定感が生まれる。

 

生きる価値なしだと思っていた僕も、
生きていて良いんだと思える様に
なったし、他の人を助けたいと
思える様になった。

 

それに、ビジネスを通して
思考力(考える力)や学ぶ方法、
マインド(気持ち)次第で人は変われるという
人生レベルで役立つ事がどんどん
身についた。

 

僕はまだ
大手電子部品メーカーの工場に
勤めているが、ビジネスを学んでから
考え方や行動が少しずつ変わってきた。

 

その影響からか、
グループリーダーやリーダーから
褒められる様になってきた。

 

グループリーダーが作った
材料の使用状況と不良品の発生状況の
台帳に対して、
「この台帳って何の為のものですか?
不良率を出したいんですか?
それとも材料の使用状況を知りたいんですか?」
と訪ねた。

 

すると、グループリーダーは
「この台帳について質問して
くる人はいなかった。色々考えて
くれているんだね」と褒められた。

 

また、ビジネスをやるとお客さんに
価値を提供することを意識するが、
これが仕事にも生きるようになってきた。

 

お客さんでは無いが、会社の人に
これをやったら喜ばれるなとか、
こういう情報欲しいだろなと
思う事を率先してやるように
なってきた。

 

僕個人としては、別に会社の為とか、
会社の上司に気に入られようと思って
やっているワケではなかった。

 

どちらかというと、
ビジネスで成功するためのトレーニング的な
意味合いで練習していただけだった。

 

それが会社の評価にも繋がったりしていたから
正直驚いた。

 

例年はいつも上司との面談で
特に何も言われないのだが、
ビジネスに挑戦して半年経った時の
上司との面談では、驚いたことに
昇格することができた。

 

何かの間違いだと思った僕は、
上司に
「他の人と間違えているんじゃないですか?」と
3回も聞き直した(笑)

 

一時期は死にたいと思い、
人生全てを諦めていたが、
インターネットビジネスに
出会ってから、僕は考え方も
行動も変える事が出来た。

 

そして何より、
生きていく目的や目標を
見つけられた。

 

僕は今後、
昔の僕と同じ様に、
会社で失敗ばかりで居場所がない。

 

生きていくのが嫌になった。

 

そんな人の心や生活を
少しでも助けられる人になりたいと
思って活動している。

 

今の日本の普通という基準は異常だ。

 

鬱になるのが当たり前。
残業するのも当たり前。
会社に尽くすのも当たり前。

 

そんな人生、本当に幸せなのかと
思ったりする。

 

そんな人達が、少しでも
人生を豊かに出来る手助けがしたい。

 

そのために僕は、これからもっともっと
成長して進み続ける。

 

昔の自分と同じ様な状況の人が、
少しでも救われるように。

ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして。シモシです!!

僕は不器用で要領の悪い、ポンコツサラリーマン。少し前まで自分の才能のなさに絶望し、希望を失っていたました。

ところが、ネットサーフィンで偶然出会った不労所得200万/月の若手企業家に出会った事がきっかけで、今ではサラリーマンをしながらインターネットビジネスを学んで居ます!!

現在は、その若手企業家に弟子入りし、ノウハウや知識、価値感を学びながら情報発信しています!!
僕がインターネットビジネスに挑戦する詳しい理由はこちら